「美しき日本の残像」(アレックス・カー,1993,2000)
この本の文庫版の解説(正確には「第七回新潮学芸賞選評」)を書いた司馬遼太郎の紀行「街道をゆく」シリーズ(1971-1996)の最後は「三浦半島記」だったが(絶筆となった未完の「濃尾参州記」を除く)、「美しき日本の残像」はアレックス・カーが幼少時代暮らした横浜やその当時遊びに出かけた三浦半島の思い出からはじまる。
葉山の畳が美しい宮内庁所有の別荘からみた富士山や、三崎の崖の上に松の木が並んでいる場所で潮風に吹かれていたのを、子どものころの記憶なので詳しい記憶はないがイメージはあざやかに残っている、と書かれている。東京オリンピックのころのことだそうなのだが、葉山から相模湾沿いにみる富士山はいまも美しいし、三崎の「崖の上に並ぶ松の木」とは城ヶ島のことだろうか?太平洋からの潮風はやはりいまも心地よい。この本は、一言でいえば、日本人が言葉にできないような近代の日本の醜さを的確に語っている。ともにかなり限定したたのしみ方ということになるのだろうが、葉山も三崎もどうにかこうにか美しさが残されているといえる。
日本の伝統的だとされる京都や奈良のまちの大部分を否定し、四国の山奥(祖谷)や京都郊外のそれほど有名でない手を加えられていないお寺に日本の美しさをみる。
アレックス・カーは、現在の日本を、自然界をコントロールしようという精神は枯山水というかたちで室町時代からあったが、技術的な限界のない現在、海岸や川をコンクリートで固めたり、京都や奈良の町並みを壊してコンクリート・ボックスにしたり、とうとう日本人は日本全国を枯山水に仕上げてしまったと表現している。日本全国どこへいっても、鉄塔に電線、コンクリート・ジャングル、そして、悪趣味なパチンコ店。ある意味ここまで周到に同じような醜い町並みを造ってしまう日本もすごいと思う。
また、日本人は日本の美術には興味がないとも書いている。美術コレクターが集めるものといえば西洋の印象派の画ばかりだと。日本人はいつしか自らの美しさの感覚に自身をもてなくなってしまったのかもしれない。
しかし「日本の美しさ」あるいは「日本の醜さ」というものは、外国人の目からみたもののほうが的を得ていることが多い。古くはM.C.ペリーが「日本遠征記」で、近年ではバブル期に日本に滞在したダグラス・クープランドの日本観がおもしろい。
アレックス・カーは、学術的にも芸術的にも造詣が深く、それでいて、実際の日本での体験に乏しい学者やアーティストにありがちな偏った見方もないので、その良さも悪さも純粋に日本を再発見できる。その一言一言は、日本人の忘れていたDNAを呼び覚ましてくれるよう。
葉山の畳が美しい宮内庁所有の別荘からみた富士山や、三崎の崖の上に松の木が並んでいる場所で潮風に吹かれていたのを、子どものころの記憶なので詳しい記憶はないがイメージはあざやかに残っている、と書かれている。東京オリンピックのころのことだそうなのだが、葉山から相模湾沿いにみる富士山はいまも美しいし、三崎の「崖の上に並ぶ松の木」とは城ヶ島のことだろうか?太平洋からの潮風はやはりいまも心地よい。この本は、一言でいえば、日本人が言葉にできないような近代の日本の醜さを的確に語っている。ともにかなり限定したたのしみ方ということになるのだろうが、葉山も三崎もどうにかこうにか美しさが残されているといえる。
日本の伝統的だとされる京都や奈良のまちの大部分を否定し、四国の山奥(祖谷)や京都郊外のそれほど有名でない手を加えられていないお寺に日本の美しさをみる。
アレックス・カーは、現在の日本を、自然界をコントロールしようという精神は枯山水というかたちで室町時代からあったが、技術的な限界のない現在、海岸や川をコンクリートで固めたり、京都や奈良の町並みを壊してコンクリート・ボックスにしたり、とうとう日本人は日本全国を枯山水に仕上げてしまったと表現している。日本全国どこへいっても、鉄塔に電線、コンクリート・ジャングル、そして、悪趣味なパチンコ店。ある意味ここまで周到に同じような醜い町並みを造ってしまう日本もすごいと思う。
また、日本人は日本の美術には興味がないとも書いている。美術コレクターが集めるものといえば西洋の印象派の画ばかりだと。日本人はいつしか自らの美しさの感覚に自身をもてなくなってしまったのかもしれない。
しかし「日本の美しさ」あるいは「日本の醜さ」というものは、外国人の目からみたもののほうが的を得ていることが多い。古くはM.C.ペリーが「日本遠征記」で、近年ではバブル期に日本に滞在したダグラス・クープランドの日本観がおもしろい。
アレックス・カーは、学術的にも芸術的にも造詣が深く、それでいて、実際の日本での体験に乏しい学者やアーティストにありがちな偏った見方もないので、その良さも悪さも純粋に日本を再発見できる。その一言一言は、日本人の忘れていたDNAを呼び覚ましてくれるよう。