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2006年12月31日

「グレート・ギャツビー」(スコット・フィッツジェラルド,1925,2006)

この小説は、それほど本というものを多く読むほうではないぼくでも軽く10回以上は読み返している。そこまで惹きつけるものはどこにあるのか。

「過去は再現できないって?できないわけがないじゃないか!すべてを昔のままに戻してみせるさ」。この物語の主人公、ジェイ・ギャツビーはなにかにとりつかれたようにそういいきる。
夢は崇高なもの。そして、夢は儚いもの。夢はかなわないから夢なのかもしれない。ギャツビーはむかしの恋人であるデイジーの愛を取り戻すために、彼女の家と狭い海峡をはさんだ反対側に家を買い求め、そこで夜ごと盛大なパーティーを開いた。どこかで噂をきいて、ひょっこり彼女が姿をあらわすのではないかと信じて。
けっきょくのところ、ギャツビーの隣人であり、この物語の語り手であるニックを介して、ふたりは再会することとなる。しかしほどなくしてギャツビーはデイジーの罪を背負ったままこの世を去り、彼女は何事もなかったかのように元の家庭に戻り、ギャツビー(と彼の父親とニック)を除く世界も何事もなかったかのようにまわりつづけていく。

ただの女々しい男だと片づけてしまうこともできるだろう。しかし、無一文同然からたったひとつの夢のためだけに、「人を殺したことがある男」とまでまわりにささやかれながらも成り上がり、最後の最後までジェイ・ギャツビーという自分自身の理想像を演じきったジェームズ・ギャッツ(ギャツビーの本名)の美学に心打たれるのだろう。
そのたったひとつの夢がむかしの恋人に振り向いてほしいという願いで、力ずくで手に入れようというよりはあくまでも偶然を装って再会しようというつつましさもギャツビーの美学といえよう。しかし、巨額の富を手にしても、夢は儚く崩れ落ちていく。現実の人生とは微妙なタイミングでできているものだから。



この新訳「グレート・ギャツビー」の訳者である村上春樹は、この本のあとがきで”人生で出会ったもっとも重要な小説”だと書いている。六十歳になったら翻訳を手がけたい、とも。「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」(村上春樹,1988)のあとがきでもまったく同じようなことを書いており、この小説に対する想いが伝わってくる。
氏が述べるフィッツジェラルドの技巧やディテールのすばらしさなどは正直よくわからないのだが、非の打ち所のない小説だというのは読んでいるときも読んだあともよくわかる。

ギャツビーの口癖”old sport”をどう訳すか二十年以上にわたって苦労して考え抜いたというが、村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(J・D・サリンジャー,1951,2003)のなかで、すでにこの新訳「グレート・ギャツビー」と同じように”オールド・スポート”と訳されていたので、このころにはもう腹は決まっていたのだろう。「ぼくは『グレート・ギャツビー』に夢中になってしまった。ギャツビーくん。オールド・スポート。あれには参っちゃったね」と、ホールデン・コールフィールドにいわせている。
このとき同時にホールデンはヘミングウェイを批判してもいる。というか、サリンジャーがホールデンにヘミングウェイ批判をさせている。ホールデン・コールフィールドのイノセントさとジェイ・ギャツビーの態度は、時代背景や年代、年齢が異なっていても、どこか通じるところがあるように思う(当然ヘミングウェイの作品には登場してこないような、どこか宙に浮いているような感じの)。対社会とか、大きなものに立ち向かうとかいう次元とはまったく異なるところで、たとえ他人からみたらものすごくちっぽけなことにみえたとしても、あくまで自分の美学を貫こうとする態度が。

2006年12月22日

「The Essential Cafe Bohemia」(佐野元春,1986,2006)

それが世間に受け入れられたかは別として、佐野元春という人物は実にmultiなアーティストだとあらためて感じさせてくれた。
アルバム『Cafe Bohemia』がリリースされた1986年前後、佐野元春は架空のカフェ「カフェ・ボヘミア」という世界観のもと、小さな会場でのライヴ活動、ラジオ・プログラムでのDJ、自身が責任編集というかたちで関わる雑誌『THIS』の発行、まだ一般的でなかった本格的なプロモーション・ビデオの制作、自身のレーベルの立ち上げ、ポエトリー・リーディング作品の発表、割と近しいアーティストたちのプロデュース、等、活動の幅は多岐に渡る。「カフェ・ボヘミア」のスポンサーがついたものばかりではなかったが、一貫していたのは、個人主義、そして自由であること。

インターネットなど世界の数人の学者の頭のなかにだけぼんやりと存在していた時代にである。個人の表現方法はいくらでもあるのだ、そして、それを受け取る側の選択肢もまた同様に。「カフェ・ボヘミア」の世界観は物語っていた。
誰かのことを100%理解することはできないけれど、二人でいるならば夢や悩みは分けあうことができる。そうして限りなく100%に近づいていくことができる。そして、間違っているものは間違っているといえる態度も重要だと、「カフェ・ボヘミア」では学んだ気がする。たとえ孤立しようとも。

1920年代のパリ。名もなき詩人や作家、アーティストを名のるすべての人々はガスの灯の下に集った。F・スコット・フィッツジェラルドとアーネスト・ヘミングウェイの出会いもそんな”カフェ”でのことだった。カフェは議論の場だった。希望や憧れ、人生について語った。つまり、理想をもってなにかを語っていた。「奇妙ではあるが、孤独感、絶望感を深めてくれたからこそカフェを愛した」。ヘンリー・ミラーはいう。
当時の”カフェ”のような場は現代にはもうないのだろうけれど、そこで語られるクオリティは比較するまでもないが、blogでだって人生を語ることはできる。「馴れ合いの仲間より、拙い個人」と、佐野元春はいう。個人の充実なくして、まわりの充実もないと。誰にだって人生を語る権利はある。



佐野元春とはちょうど20歳違いで、同じ星座と、誕生日も近い。なので、ここのところ20周年記念盤が来るべきタイミングでリリースされているが、オリジナル版は彼がいまの自分と同じ歳のときに制作したものということになる。

『Cafe Bohemia』は、その壮大でいて「個」を重要視する世界観がとくに好きなアルバムで、フィッツジェラルドじゃないけど、短い”冬の夢”をみている気持ちにさせてくれる。輝いた理想と、夢の喪失。人生はそのくり返しである。

20周年記念盤でようやく当時佐野元春の表現しようとしたことを、身をもって分かるような気がするのである。

ああ、それにしてもぼくらの世代ときたら、ネット世代も第一世代のくせに、文化的なことや夢のあることをする人が誰一人としてあらわれない。金儲けに夢中になる奴らは後を絶たないのに。

2006年12月16日

いたち川散策

横浜市栄区を流れる「いたち川」を散策した。ほぼ全域が市街地を流れる都市河川であるが、コサギやアオサギ、カワセミ、メジロなどの鳥をはじめ、水生生物や植物など、流域は自然に恵まれている。

JR大船駅から柏尾川を経由していたち川へ入る。柏尾川の鎌倉市と横浜市との境は、わかりやすい。行政区域というものがどれほどつまらないものかよくわかる。鎌倉市側のみ、なにやら工事をしていた。

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いたち川の川幅はそれほど広くない。いちおう護岸工事をしているのだけど、中州のようなものがあったり、川底を歩けるようになっていたり、人工的なものにしろ、親しみがもてる。
この時期にしては風もなく過ごしやすい気候だったせいもあるのか、川の側道をジョギングしたり散歩したりしている人がとても多かった。いろいろな生物や植物に出会えるので少し遠回りしてでも歩きたくなるのかもしれない。自分が育てているという植物について、珍しい野鳥について、すれ違う人のなかには、たまに解説してくれる人もいた。

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一般的な都市河川とのいちばんの大きな違いは、そのゴミの少なさだといえるだろう。きょうはとくにそのような人には出会わなかったが、ボランティアで清掃している人たちも多いのだろう。次回の清掃活動を告知している看板もいくつか見受けられた。
都市開発のなかで、まちの裏手を流れるドブ川のようにならなかったのがよかったのだろう。流域の住民にとってまちの中心的存在であるか否かで、川の表情というものは大きく変わってくるものだ。

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