「マイ・ロスト・シティー」(スコット・フィッツジェラルド,1932,1981,2006)
きょうまで11連休であったわけだが、こんな連休はもう次は転職するときくらいしかできないんじゃないかとも思うのだが、父の入院する病院や妹の入院していた病院や、きのう従弟の結婚式で東京まででかけた以外はほとんど家のなかで暮らしていた。それらのからみで、他に、実家へは何度か顔をだしたけれど。
年末に「グレート・ギャツビー」(スコット・フィッツジェラルド,1925)を読んだ影響もあって、スコット・フィッツジェラルドの小説をいくつか読んだ。長編はそれほど多く残していない作家ということもあり、正確には読んだのは短編とエッセイであるが。
「リッチ・ボーイ(金持の青年)」(1926)
「冬の夢」(1922)とともに長編「グレート・ギャツビー」と同じく上流階級に生きる青年の恋の喪失と人生の崩壊を題材にした短編。若いうちはがむしゃらに理想を追いつづけ他人より忙しい毎日を暮らしていたが、いざ自由な時間を持てるようになると、すでに同じ年代の友人は家庭を持っているし、馴染みの店はすでに下の世代に占拠されているしで、行くところもないという状態。第一次世界大戦後のアメリカでロスト・ジェネレーションの旗手とされたフィッツジェラルドの典型的なテーマではあるが、バブル景気の恩恵を受けるのには遅すぎて、女子高生ブーム的な若者文化が持てはやされた世代には早すぎた、就職氷河期の真っ只中に社会に放り出されたぼくらの世代にも共感できるテーマがみえる。偶然にも、「リッチ・ボーイ」の主人公アンソンも「グレート・ギャツビー」の語り手であるニックも、いまの自分と同い歳である。
「失われた三時間」(1941)
個人的にフィッツジェラルドの短編のなかで1、2を争うほど好きな小説である。昨年は、この物語を下敷きに短編ムービーを撮ろうとしたくらいである(実際に撮りはじめたのだが、諸事情でお蔵入りとなった)。幼い頃のすてきな夢が、歳をとるにつれて自分のなかで美化されていたということもあるが、飛行機を乗り継ぐ間の数時間で脆くも崩れていくというお話。物語自体とても短いものであるが、すべては最後のこの一文に集約されていると思う。「人生の残り半分なんて、結局はいろんなものを切り捨てていくための長い道のりに過ぎないのだ、と彼は思う。たぶん、そこには意味なんか何もないのだろう。」これは村上春樹訳であるが(今回はすべて村上春樹訳で読んだ)、この部分に関しては野崎孝訳のほうがしっくりくる。「人間の後半生というのは、いろいろなものを喪失してゆく長い過程なのであってみれば、今度の経験も格別どうというほどのことではなかったのかもしれない。」
「マイ・ロスト・シティー」(1932)
ロスト・シティーの”シティー”とはニューヨークのことである。「マイ・ロスト・シティー」は、フィッツジェラルドがニューヨークにやってきてから自分にとって”失われたまち”となるまでのエッセイだ。自伝のようなものなのだが、フィッツジェラルドの各作品のもとになっているようなエピソードもでてくる。そしてここでも大きなテーマとなっているのは、やはり、”夢の喪失”である。当時ニューヨークでもっとも新しくもっとも高かった建造物であるエンパイア・ステート・ビルの頂上からニューヨークの都市を一望したとき、ニューヨークはどこまでも果てしなくビルの谷間がつづいているのではなく限りのある都市であるという事実に気づかされたとき、彼は夢から醒めニューヨークを去っていくのである。
いまのニューヨークでは、いちばん高い建造物がなんという建物なのか知らないが、どこまでもビルがつづいているいるように見えるかもしれない。東京でいえば、なんとなく東京の建造物の象徴ということで東京タワーに登ったとしても、いまでは六本木ヒルズに見下ろされたりもしているので権威もなにもあったものではないが、はるか遠くに丹沢だとか山梨方面の山々がみえる以外はどこまでもビルがつづいているように見えるかもしれない。フィッツジェラルドの時代とは夢の許容量も増したのか?いや、むしろ、薄っぺらくなっただけのような気がする。
年末に「グレート・ギャツビー」(スコット・フィッツジェラルド,1925)を読んだ影響もあって、スコット・フィッツジェラルドの小説をいくつか読んだ。長編はそれほど多く残していない作家ということもあり、正確には読んだのは短編とエッセイであるが。
「リッチ・ボーイ(金持の青年)」(1926)
「冬の夢」(1922)とともに長編「グレート・ギャツビー」と同じく上流階級に生きる青年の恋の喪失と人生の崩壊を題材にした短編。若いうちはがむしゃらに理想を追いつづけ他人より忙しい毎日を暮らしていたが、いざ自由な時間を持てるようになると、すでに同じ年代の友人は家庭を持っているし、馴染みの店はすでに下の世代に占拠されているしで、行くところもないという状態。第一次世界大戦後のアメリカでロスト・ジェネレーションの旗手とされたフィッツジェラルドの典型的なテーマではあるが、バブル景気の恩恵を受けるのには遅すぎて、女子高生ブーム的な若者文化が持てはやされた世代には早すぎた、就職氷河期の真っ只中に社会に放り出されたぼくらの世代にも共感できるテーマがみえる。偶然にも、「リッチ・ボーイ」の主人公アンソンも「グレート・ギャツビー」の語り手であるニックも、いまの自分と同い歳である。
「失われた三時間」(1941)
個人的にフィッツジェラルドの短編のなかで1、2を争うほど好きな小説である。昨年は、この物語を下敷きに短編ムービーを撮ろうとしたくらいである(実際に撮りはじめたのだが、諸事情でお蔵入りとなった)。幼い頃のすてきな夢が、歳をとるにつれて自分のなかで美化されていたということもあるが、飛行機を乗り継ぐ間の数時間で脆くも崩れていくというお話。物語自体とても短いものであるが、すべては最後のこの一文に集約されていると思う。「人生の残り半分なんて、結局はいろんなものを切り捨てていくための長い道のりに過ぎないのだ、と彼は思う。たぶん、そこには意味なんか何もないのだろう。」これは村上春樹訳であるが(今回はすべて村上春樹訳で読んだ)、この部分に関しては野崎孝訳のほうがしっくりくる。「人間の後半生というのは、いろいろなものを喪失してゆく長い過程なのであってみれば、今度の経験も格別どうというほどのことではなかったのかもしれない。」
「マイ・ロスト・シティー」(1932)
ロスト・シティーの”シティー”とはニューヨークのことである。「マイ・ロスト・シティー」は、フィッツジェラルドがニューヨークにやってきてから自分にとって”失われたまち”となるまでのエッセイだ。自伝のようなものなのだが、フィッツジェラルドの各作品のもとになっているようなエピソードもでてくる。そしてここでも大きなテーマとなっているのは、やはり、”夢の喪失”である。当時ニューヨークでもっとも新しくもっとも高かった建造物であるエンパイア・ステート・ビルの頂上からニューヨークの都市を一望したとき、ニューヨークはどこまでも果てしなくビルの谷間がつづいているのではなく限りのある都市であるという事実に気づかされたとき、彼は夢から醒めニューヨークを去っていくのである。
いまのニューヨークでは、いちばん高い建造物がなんという建物なのか知らないが、どこまでもビルがつづいているいるように見えるかもしれない。東京でいえば、なんとなく東京の建造物の象徴ということで東京タワーに登ったとしても、いまでは六本木ヒルズに見下ろされたりもしているので権威もなにもあったものではないが、はるか遠くに丹沢だとか山梨方面の山々がみえる以外はどこまでもビルがつづいているように見えるかもしれない。フィッツジェラルドの時代とは夢の許容量も増したのか?いや、むしろ、薄っぺらくなっただけのような気がする。
