「一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利」(ヘンリー・デイヴィッド・ソロー)
本書はさまざまなタイトルで日本語訳されているが、原文もはっきりとしたタイトルは定まっていないという。「市民の反抗」というタイトルがいちばんポピュラーであると思う。まだ学生だったころ図書館で読んだことがあったが、今回は2005年の新訳版を購入して読んでみた。
自分の気にくわない法律があれば、刑務所に入る覚悟があるのならば、破ってもかまわない。平たくいえばソローはそう説いている。自分の良心がもっとも高い法であると。
どんなに時代背景が変わろうが、ソローのいう権利は重要なことであると思う。現在の日本では、奴隷制もなければ直接的に戦争を引き起こしてもいない。悪法はもっと巧妙につくられている。
たとえば自分たちの権利を守る法律をつくることしか頭にない政治家たちがいるとする。野党はそれを批判するが、それもある意味自分たちの権利を守る行為でしかなかったりする。対案があるわけでもなく、与党のいうことに反対するという単純な方法でしか自分の存在意義を確立できないでいるだけで。
本当の悪法は与党だ野党だとかそういうレヴェルではなく、いちぶの権力者の都合が良いようにつくられているものだ。たいていの法律はたいていの人は知らないところでつくられ、たいていの人が知らないうちに施行されている。その「恩恵」にあずかることができないのが弱者たる多くの市民ということになるが、けっきょくのところ、どう不利益を与えられているのかよくわからないでいる。というのが現状かと思う。
まずは、まわりに流されることなく(他人も主張しているから自分もというようなワガママではなく)、個人の権利に敏感になる必要があると思う。そして、考えたり思ったり日記に記したりするだけでなく、実行することが重要なのだと思う。
自分の気にくわない法律があれば、刑務所に入る覚悟があるのならば、破ってもかまわない。平たくいえばソローはそう説いている。自分の良心がもっとも高い法であると。
どんなに時代背景が変わろうが、ソローのいう権利は重要なことであると思う。現在の日本では、奴隷制もなければ直接的に戦争を引き起こしてもいない。悪法はもっと巧妙につくられている。
たとえば自分たちの権利を守る法律をつくることしか頭にない政治家たちがいるとする。野党はそれを批判するが、それもある意味自分たちの権利を守る行為でしかなかったりする。対案があるわけでもなく、与党のいうことに反対するという単純な方法でしか自分の存在意義を確立できないでいるだけで。
本当の悪法は与党だ野党だとかそういうレヴェルではなく、いちぶの権力者の都合が良いようにつくられているものだ。たいていの法律はたいていの人は知らないところでつくられ、たいていの人が知らないうちに施行されている。その「恩恵」にあずかることができないのが弱者たる多くの市民ということになるが、けっきょくのところ、どう不利益を与えられているのかよくわからないでいる。というのが現状かと思う。
まずは、まわりに流されることなく(他人も主張しているから自分もというようなワガママではなく)、個人の権利に敏感になる必要があると思う。そして、考えたり思ったり日記に記したりするだけでなく、実行することが重要なのだと思う。
