「幻影の書」(ポール・オースター,2002,2008)
ポール・オースターはぼくの数少ないお気に入りの作家のひとりで、新刊がでると必ずすぐに入手して読むことにしている。とはいえそれは日本語訳の話で、残念ながら原書で読むことは困難なため、いつも母国で発行されてかなりたってから読むことになってしまう。
この「幻影の書」も原書は2002年発行だから少し前の作品ということになってしまう。コンスタントに日本語訳が発行されているからまだ幸せなほうで、読みたくても読むことができない作品あるいは作者も多いことを考えれば、柴田元幸氏の秀逸な訳(原書も読まずにいえることではないが)で読むことができるオースター作品はやはり特別なものだ。
「幻影の書」は他の多くのオースター作品でも用いられている手法"作品内作品"が、他のどの作品より前面に押し出されている(「スモーク」(1995)と「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の関係は特殊な例だと考えて)。しかもそれは1つにとどまらず、複数の作品が出てくることも特筆すべき点だろう。また、小説内小説はよく用いられる手法であるが、小説内映画は映画制作を経験しているオースターならではだろう。
この小説のタイトルはどのような意味を持つのだろうか、読む前、読んでいる最中、何度も考えてみた。ぼくなりの結論としては、最後まで読み終えてはじめてそう感じたわけだが、この本の登場人物は「今」この世に誰も存在しないというところからとったのではないかと思った。登場人物だけではない。作品内作品もすでに消えてなくなっている(広く一般に公開されていたものを除いて)。そういえば、いろいろなものが消えていくのもオースター作品の真骨頂だった。
この「幻影の書」も原書は2002年発行だから少し前の作品ということになってしまう。コンスタントに日本語訳が発行されているからまだ幸せなほうで、読みたくても読むことができない作品あるいは作者も多いことを考えれば、柴田元幸氏の秀逸な訳(原書も読まずにいえることではないが)で読むことができるオースター作品はやはり特別なものだ。
「幻影の書」は他の多くのオースター作品でも用いられている手法"作品内作品"が、他のどの作品より前面に押し出されている(「スモーク」(1995)と「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の関係は特殊な例だと考えて)。しかもそれは1つにとどまらず、複数の作品が出てくることも特筆すべき点だろう。また、小説内小説はよく用いられる手法であるが、小説内映画は映画制作を経験しているオースターならではだろう。
この小説のタイトルはどのような意味を持つのだろうか、読む前、読んでいる最中、何度も考えてみた。ぼくなりの結論としては、最後まで読み終えてはじめてそう感じたわけだが、この本の登場人物は「今」この世に誰も存在しないというところからとったのではないかと思った。登場人物だけではない。作品内作品もすでに消えてなくなっている(広く一般に公開されていたものを除いて)。そういえば、いろいろなものが消えていくのもオースター作品の真骨頂だった。