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2009年02月25日

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(スコット・フィッツジェラルド,1922)

二十代のころ、まだじゅうぶんに若かったころ、ぼくはいつも自分のことを"永遠の19歳"などといっていた。純粋に若くありつづけたいと思うことと同時に、不完全燃焼に終わった青春時代を憂えてのことだったのだと思う。現にぼくのヒーローは、いつまでも純粋な夢を追いつづけたジョン・レノンであり、ジェイ・ギャツビー(小説「グレート・ギャツビー」(スコット・フィッツジェラルド,1925)の主人公)だった。
さすがに最近は理想と現実の境も少しはわかるようになり、また恥ずかしさというものも覚え、"永遠の19歳"なんて発言は(めったに)しなくなったが。

おばあちゃんのお通夜のあと、家族がひさしぶりに再会した親せきと思い出話に花を咲かせているあいだ、ぼくはひとりになりたかったので近くの本屋へでかけた。とくになにかお目当てがあるわけではなかった。夜も10時になろうとしていたので、とりあえず開いていた本屋に吸い込まれたというだけだった。雑誌やら小説やらをいくつか手にとっては返すという作業をくり返していたが、しばらくして一冊の本が目にとまった。
映画化されているのは知っていたけど、とくに読んでみたいとは思いつかなかった。そもそも、映画化されたものの原作が急遽翻訳されたり書き下ろされたりとかしたものを読むのはただの映画好きがすることであって、読書好きとしてはどうにも好きになれる行為ではなかった。だけど、それがフィッツジェラルド作品というのなら話は違う。すぐに購入すると、薄暗い葬儀場の下の薄暗い駐車場に停めてある薄暗いクルマのなかで読みはじめた。

この本には本作1編しか収められていないが、物語自体はすごく短い短編だ。効果的なイラストが雰囲気を出している。フィッツジェラルド作品にしてはめずらしいSFタッチの物語で、さしずめ早すぎたポストモダンといったところか。主人公ベンジャミンは老人の姿で生まれ、若返っていくというストーリー。全体を通して、親や妻や息子、孫をはじめとした周囲との葛藤が描かれる。フィッツジェラルドの短編として読みはじめた当初は違和感があった。しかし読み進めていくうちに、すぐにやっぱりフィッツジェラルドだと感じた。「すぐに」とはいえ、そう感じたころにはこの短い物語は残すところ数ページというところまで来ていたのだが。
けっきょくのところベンジャミンの最期は自分の人生が現実だったのかよくわからないまま、夢うつつのまま終わっていくことになる。歓迎されずに生まれてきたという出生の違いこそあるが、それはたいていの人の人生の終わり方となにも変わらない。



晩年のおばあちゃんはボケてしまっていたので、いつもどこか焦点の定まらない目をしていた。しかもかなり若くしてボケてしまったので、恩返しらしい恩返しができなかったことがとても残念だ。子どものころ、共働きの親にかわっていつも夕飯を食べさせてくれたり、暇さえあればデパートの屋上で遊ばせてくれていたのに。
ときどき、酒屋の仕事をしていたころを思い出させるような単語に反応してくれるときがうれしかった。
7年前の春、おじいちゃんが亡くなったときにすでによくわからなくなってしまっていたのは、幸せだったのかもしれない。

おじいちゃんはわりと突然亡くなってしまったけど、おばあちゃんは大きな病気にかかることもなく安らかに人生を終えた。それは、どこか、赤ちゃんに戻っていくようでもあった。

なにを想って人生の最期を迎えたのだろうか。ボケてしまった最後の何年かは常に夢をみているような感じだったのかな。まだおじいちゃんやぼくの母親なんかも元気なころの夢なんだろうな。
最後にみる夢はいちばん幸せだったころの夢だって絶対に決まっているから。
きっと若くて幸せな日々が長くつづいていたんだろうな。おばあちゃんの場合はとくにとっても長い夢だったから、ぼくも登場していたりするのかな。どうなんだろうな。

2009年02月11日

「バビロンに帰る」(スコット・フィッツジェラルド,1931)

ジャズ・エイジ、ロスト・ジェネレーション、大恐慌、そんな事柄が背景に凝縮された短編だ。
主人公のチャーリーはまだ好況のころにおかした自らの過ちを清算しようとするが、けっきょくは自分ひとりが一大決心したところで簡単には状況は変えられない。他の多くのフィッツジェラルド作品と同様にハッピー・エンドの物語ではない。しかし「バビロンに帰る」は彼特有の"崩壊"の物語ではなく、希望に満ちた物語である。



この「バビロンに帰る」は村上春樹編訳『バビロンに帰る―ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2』(1996,2008)で読んだ。他に4つの短編が収められている。
これらとともに収められている、文芸評論家マルカム・カウリーのエッセイ「スコット・フィッツジェラルド作品集のための序文」がすばらしい。

2009年02月07日

「Chimera Music Release No.0」(2009)

ショーン・レノン、チボ・マットの本田ゆか、シャーロット・ミュールによる新レーベル「Chimera Music」の立ち上げ記念アルバム。その所属アーティストが数曲ずつ担当したコンピレーション。
YOKO ONO PLASTIC ONO BANDあり、コーネリアスによるリミックス曲あり、ショーン・レノン書き下ろしの映画のサントラ曲ありと、盛りだくさん。もともとショーン・レノンの音楽は幅広いジャンルにまたがっているイメージがあったから、これだけいろいろな傾向の曲があっても違和感はまったくない。むしろショーン・レノンっぽい。

ショーン・レノンの前作付属のDVDが好きだったので、「Chimera Music」には映像作品にも期待したい。このメンバーならなにかおもしろそうなことをやってくれる予感がある。グランド・ロイヤルでもビートルズ風でもないショーン・レノンに期待。



ボーナス・トラックとして、本人も出演しているホンダ・フリードのCM曲「FREED」も聴くことができる。サラ・ヴォーンを使っていたり、ホンダはCM曲は好きなんだけどな。あの趣味の悪い悪顔がいただけない。それが好きな人も多いから支持もされてる事実は認めるけど。