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2011年01月28日

「GALAPAGOS 003SH」(SHARP)

Softbankのケータイを「X02NK」(NOKIA)から「GALAPAGOS 003SH」(SHARP)に機種変更した。Softbankの方針変更によりスマートフォン専用USIMなるものを導入したおかげで、スマートフォンからスマートフォンへの機種変更だけど、「X02NK」(NOKIA)は使えなくなってしまった。

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なにはともあれ、Androidデビューである。勉強も兼ねて。
そして、ひさびさの純国産メーカー製ケータイだ(PHSや業務用電話を除く)。ここ5台はNokiaかSonyEricssonだった。

国産メーカー製ケータイを持つのはJ-Phone時代末期に発売された「graphica J-D06」(MITSUBISHI)以来。少なくとも国内でははじめてのデザイン重視のケータイだったと思う。
「NM502i」(NOKIA)とペアで使っていても、存在感は負けていなかった。

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ちなみに、スマートフォン専用USIMになってもSIMロックフリー端末「Nokia 7600」でのSoftbank網在圏は確認できた。

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2011年01月15日

「青春は美わし」(ヘルマン・ヘッセ,1916,1954)

ヘッセとかゲーテとか、ドイツのクラシカルな作家の小説はたまに無性に読みたくなるときがある。なんていうか、余計なテクニックを使っていない文章というか、話の内容がリニアである場合が多いので、安心して読める。それに、日本のクラシカルな作家の文章を読んだあとにも感じることがあるような、読み終えたあとにすがすがしさみたいなものを感じることができるのも良い。



「青春は美わし」の物語自体は、主人公が何年かぶりに帰郷して昔好きだった女のコと再会するが失恋し、すぐまた他の女のコに恋をするが故郷を去る直前に想いを告げるもののまた失恋するという、ダメな男の物語ではあるのだけど、相手の女のコが良い人ばかりで、変なドタバタ劇も起きないのがまた良い。実際には、時代がいつであろうと国がどこであろうと、恋愛なんてもっとドロドロとしたことも起きているはずだろうけど。
いずれにしろ、現実は残酷であったとしても、時間がたてば、思い出は美しいまま残っていくものである。

2011年01月14日

「アメリカン・サイコ」(ブレット・イーストン・エリス,1991,1995)

上巻だけ読んでしばらく止まってしまっていたが、読み終えた。
現代の(正確には1980年代の物語だが)アメリカの病を読んだ気がした。タイトルのまんまだけど。



このすぐあとにサリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も読み返した。

たまたまだけど、「アメリカン・サイコ」の主人公パトリック・ベイトマンはアーネスト・ヘミングウェイの「武器よさらば」が好きだといい、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公ホールデン・コールフィールドは「武器よさらば」のことを理解できないという(代わりに「グレート・ギャツビー」をべたぼめする)。まぁ、そんなま逆の小説でもある。
ぼくも高校時代くらいまでは、ジャズ・エイジの作家のなかではフィッツジェラルドよりヘミングウェイのほうをよく読んでいたように思うけど、いつしか逆転していった。いまではヘミングウェイを読み返すことはほとんどなくなった。ヘミングウェイはたしかにうまいんだけど、心に残るのはフィッツジェラルドなんだな。

野崎孝訳と村上春樹訳をもっているが、今回は村上訳を読んだ。直前にやはり読み返していたF・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」も村上訳で読んだから。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)」「グレート・ギャツビー(華麗なるギャツビー)」も、野崎訳は名訳だと思う。
翻訳は現代語で訳した文章を読むことができるのが、長所でも短所でもあると思う。

村上訳は小説としては一風変わっていて、あとがき的な文章がなにも付いていない。野崎訳には文末に「解説」が付いているが、村上訳の発行時には契約の関係上付けられなかったという。
しかしその辺は出版社側もうまくやったもので、発行当初、本屋などではあとがきに代わる文章として、新聞形式の別紙で”「キャッチャー・イン・ザ・ライ」刊行記念対談 「ライ麦畑でつかまえて」新訳を語る”が配られた。訳者の村上春樹とポール・オースターなどポストモダンな作家の翻訳で知られる柴田元幸による対談が、かなりのヴォリュームでたのしめる読み物だ。さらに後日、この対談が好評だったとのことで「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(村上春樹・柴田元幸)なる本も刊行された。この本では二人の対談のほかに、村上春樹による「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の幻の解説と柴田元幸による短編(エッセイ?)「Call Me Holden」を読むことができる(これも偶然だが、「Call Me Holden」をパラパラ流し読みしていたらエリスの「アメリカン・サイコ」の話が出てきた。ホールデンに妹のフィービーや弟のアリーがいなかったらベイトマンみたいな男になっていたかもしれないと、語られている)。

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