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2006年02月18日

「ビートから現代まで」VS「21世紀のアメリカ小説」

青山ブックセンターのホームページに掲載されているイベント・レポート『新春!佐藤君と柴田君「ビートから現代まで」VS「21世紀のアメリカ小説」』を読んだ。1月8日に青山ブックセンター本店でおこなわれたものだそうだ。事前に知っていれば行ってたのに。
最近は、ネットや新聞なんかでなにかほしい本をみつけてもamazonで頼んでしまうから、本屋に行かないばかりか、本屋のホームページさえもアクセスしなくなってしまった。大きな本屋のある場所には縁がなくなってしまったし、近所の本屋じゃたかが知れているし。本屋や図書館の質というものは、そのままそのまちの文化の高さ(低さ)を表わしていると思う。

対談のなかでも述べられているが、「ビート」というものは日本でも5~6年周期でブームになっているらしい(現在はボブ・ディランの伝記映画「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)が公開中(ただし、渋谷と吉祥寺の計3館のみ))。ブームというほど世間一般に流行っている風にはみえないけど、確かに大きな本屋では特設コーナーができていたり、およそ純粋な文学からはかけ離れているサブカルやオルタナティブ(どちらも死語気味か?)な雑誌で特集が組まれたりする。現にぼくも、5~6年前、ビート・ジェネレーションの伝記映画「ビートニク」(1999)を観にいったから、そのブームにもろにのっていることになるのかもしれない。
時代がたつにつれさまざまな解釈がうまれ、過剰に美化もされてはいるのだろうけれど、何度となくブームは起きても、ビートのようなムーブメントはもう起こらないのだろう。なんというか、ハイパーリンクな世界には、アレン・ギンズバーグとジャック・ケルアックとウィリアム・バロウズのような運命的な出会いというものがうまれる土壌がないというか。この、目にみえないヴァーチャルなよくわからない、その気になればすぐにでも切断できる、なにかで繋がっているという、ネット世代あるいはケータイ世代の軽い感覚には。

2006年03月05日

「わがタイプライターの物語」(ポール・オースター,2002,2006)

1週間くらい前にamazonで注文しておいたポール・オースターの「わがタイプライターの物語」を受け取ることができたので、一気に読んだ。

サム・メッサーという人の挿絵付き。それも、ポール・オースターと自分の肖像画(スケッチ)以外は、すべてタイプライターの絵だ。しかも、それらはすべて同じひとつのタイプライターの絵で、カンバスに油絵という手法も同じなのだが、それぞれに個性があるのがおもしろい。
ポール・オースターがタイプライターと一体となっているようなものだということをポール・オースターが書いた物語なのだけれど、また、ポール・オースターがタイプライターと一体となっているようなものだということをサム・メッサーが描いた物語でもある。

それにしても、デジタルなものよりアナログなもののほうが愛着がわくのはなぜだろう?その不自由さが愛おしいから?人間と同じように劣化していくから?たとえ壊れてしまっても、(大金を払わずに)なんとか元に直せそうな気にさせてくれるのもアナログのほうだ。
デジタルなものは完璧にものごとをこなしてくれるかもしれないけど、それは裏を返せば操作するほうも完璧に使いこなさないとうまくいかないということでもある。1つでも手順をまちがえれば1からやり直し、ならともかく、他のすべてのデータが消去されてしまうような危険と隣りあわせだったりもする。
とはいえ、物心ついたころにはすでにデジタルなものが蔓延していた世代柄、いまさらその便利さを捨てることはできないわけだけど。10年後か20年後かわからないけど、オースターにとってのタイプライターが、いまの自分にとっての109キーボードとマウスになっているのかもしれないし。


2006年04月08日

「ハチドリのひとしずく いま、私にできること」(監修・辻信一,2005)

クリキンディという名のハチドリの、短い短いストーリー。あらすじを書こうとしたら、きっと本文より長くなってしまうだろう。しかし、とても気が遠くなるほど長い長いストーリーでもある。クリキンディ1羽の力では。

この物語のあとがきのような文章にこんな記述があった。
「怒りや憎しみに身をまかせたり、他人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。クリキンディはそう言っているような気がするんだ」
これはこの本の挿絵を描いた、マイケル・ニコル・ヤグラナスの言葉。
なにかにケチをつけることなら誰にだって簡単にできるし、それではなにも解決しない。絶望の淵で嘆いていたとしても、小さなことからできることはあるはず。重要なのは行動することだ。

この本の後半では”無理なく「引き算」 楽しく「ポトリ」”と題して、CO2を100g減らすための単位を1ポトリと名づけて、日本人ひとりあたり1日平均7千gも排出しているCO2をいかに無理なく楽しく減らしていけるかの方法を解説している。
このなかにでてくる、スローウォーターカフェのおしゃれで伸縮型の携帯箸「森のお守り」は、以前妹のひとりからもらったことがあった。また、同じように紹介されているパタゴニアのオーガニックコットン製品(普通のコットンには、製品の重量の約30%もの農薬が使われている)も、もうひとりの妹からもらったことがあるし、自分でも好んで買っている。自分もクリキンディと同じように、ポトリ、ポトリと、燃えさかる森に水滴を落としているようで、すこしうれしかった。


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