「ビートから現代まで」VS「21世紀のアメリカ小説」
青山ブックセンターのホームページに掲載されているイベント・レポート『新春!佐藤君と柴田君「ビートから現代まで」VS「21世紀のアメリカ小説」』を読んだ。1月8日に青山ブックセンター本店でおこなわれたものだそうだ。事前に知っていれば行ってたのに。
最近は、ネットや新聞なんかでなにかほしい本をみつけてもamazonで頼んでしまうから、本屋に行かないばかりか、本屋のホームページさえもアクセスしなくなってしまった。大きな本屋のある場所には縁がなくなってしまったし、近所の本屋じゃたかが知れているし。本屋や図書館の質というものは、そのままそのまちの文化の高さ(低さ)を表わしていると思う。
対談のなかでも述べられているが、「ビート」というものは日本でも5~6年周期でブームになっているらしい(現在はボブ・ディランの伝記映画「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)が公開中(ただし、渋谷と吉祥寺の計3館のみ))。ブームというほど世間一般に流行っている風にはみえないけど、確かに大きな本屋では特設コーナーができていたり、およそ純粋な文学からはかけ離れているサブカルやオルタナティブ(どちらも死語気味か?)な雑誌で特集が組まれたりする。現にぼくも、5~6年前、ビート・ジェネレーションの伝記映画「ビートニク」(1999)を観にいったから、そのブームにもろにのっていることになるのかもしれない。
時代がたつにつれさまざまな解釈がうまれ、過剰に美化もされてはいるのだろうけれど、何度となくブームは起きても、ビートのようなムーブメントはもう起こらないのだろう。なんというか、ハイパーリンクな世界には、アレン・ギンズバーグとジャック・ケルアックとウィリアム・バロウズのような運命的な出会いというものがうまれる土壌がないというか。この、目にみえないヴァーチャルなよくわからない、その気になればすぐにでも切断できる、なにかで繋がっているという、ネット世代あるいはケータイ世代の軽い感覚には。
最近は、ネットや新聞なんかでなにかほしい本をみつけてもamazonで頼んでしまうから、本屋に行かないばかりか、本屋のホームページさえもアクセスしなくなってしまった。大きな本屋のある場所には縁がなくなってしまったし、近所の本屋じゃたかが知れているし。本屋や図書館の質というものは、そのままそのまちの文化の高さ(低さ)を表わしていると思う。
対談のなかでも述べられているが、「ビート」というものは日本でも5~6年周期でブームになっているらしい(現在はボブ・ディランの伝記映画「ノー・ディレクション・ホーム」(2005)が公開中(ただし、渋谷と吉祥寺の計3館のみ))。ブームというほど世間一般に流行っている風にはみえないけど、確かに大きな本屋では特設コーナーができていたり、およそ純粋な文学からはかけ離れているサブカルやオルタナティブ(どちらも死語気味か?)な雑誌で特集が組まれたりする。現にぼくも、5~6年前、ビート・ジェネレーションの伝記映画「ビートニク」(1999)を観にいったから、そのブームにもろにのっていることになるのかもしれない。
時代がたつにつれさまざまな解釈がうまれ、過剰に美化もされてはいるのだろうけれど、何度となくブームは起きても、ビートのようなムーブメントはもう起こらないのだろう。なんというか、ハイパーリンクな世界には、アレン・ギンズバーグとジャック・ケルアックとウィリアム・バロウズのような運命的な出会いというものがうまれる土壌がないというか。この、目にみえないヴァーチャルなよくわからない、その気になればすぐにでも切断できる、なにかで繋がっているという、ネット世代あるいはケータイ世代の軽い感覚には。
